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放課後の古い校舎、誰もいないはずの薄暗いトイレ。一番奥にある三番目の個室から、不意に耳元で囁くような美しき男の声が響き渡る。「赤い紙と青い紙、どちらが欲しい?」もしあなたがこの絶対的な死の問いを聞いてしまったなら、もう決して元の日常には戻れないのだ。
健太はその日、どうしても学校に戻らなければならなかった。明日の提出期限に間に合わせるための図工のスケッチブックを、自分の机の中に置き忘れてしまったのだ。季節は秋の終わり。夕暮れは早く、校庭はすでに深い影に沈んでいた。職員室の電気が遠くに見えるだけで、木造の旧校舎には生徒の姿は一人もない。
スリッパのパタパタという音だけが、不気味なくらい大きく廊下に反響する。「早く取って帰ろう」と早足で教室へ向かっていた健太だったが、突然の腹痛に襲われた。冷たい風に当たったせいかもしれない。我慢できなくなった彼は、旧校舎の突き当たりにある、普段は誰も使いたがらない男子トイレへと駆け込んだ。
「ギィィ……」と油の切れた重い扉を開け、健太は一番手前の個室に飛び込み、慌てて鍵をかけた。ほっと息をついたのも束の間、カビの匂いと強烈な冷気が足元から這い上がってくるのを感じた。そして、用を足し終えて手を伸ばした瞬間、最悪の事態に気がついた。
ペーパーホルダーには、茶色い芯だけが虚しくぶら下がっていたのだ。「うそだろ……」健太は焦った。誰もいない校舎で、誰かに紙を持ってきてもらうことなど不可能だ。隣の個室に移動しようかと考え始めたその時。
コツン……コツン……。
トイレの入り口から、硬い革靴の足音が響いてきた。それに混じって、バサリ、バサリと、重厚な布が床を擦るような異音が近づいてくる。足音は健太のいる個室の前で、ピタリと止まった。
健太は息を殺し、足音の主が立ち去るのを祈った。しかし、扉の向こうにいる「それ」は動かない。やがて、個室のドアの上から、まるで耳元に直接息を吹きかけられるような、低く、そして恐ろしいほどに美しい男の声が降ってきた。
『赤い紙が欲しいか、青い紙が欲しいか?』
全身の血が凍りついた。クラスの女子たちが楽しそうに話していた怪談話が、脳裏にフラッシュバックする。赤マントだ。赤い紙と答えれば刃物で全身の皮を剥がされて血だるまにされ、青い紙と答えれば全身の血を抜かれて真っ青になって死ぬ。
ドアの下の隙間から、まるで鮮血のように燃え上がる真紅のマントの裾が見えた。そして、ドアの隙間から覗き込んできたのは、息を呑むほど美しい、しかし感情の一切ない冷酷な男の瞳だった。
『さあ、答えなさい。赤か、青か』
極限の恐怖の中で、健太は友人が冗談交じりに話していた「助かる方法」を思い出した。このゲームに乗ってはいけないのだ。喉の渇きを必死に堪え、震える声で健太は叫んだ。
「い、要りません!紙は要りません!」
その瞬間、ピタリと空気が止まった。息苦しいほどのプレッシャーが嘘のように消え去り、真紅のマントも、革靴の男も、幻のように掻き消えた。健太は急いでズボンを上げ、鍵を開けると、振り返ることなく旧校舎から逃げ出した。
翌朝。何事もなかったかのように登校した健太は、昨日の出来事はただの幻覚だったのだと自分に言い聞かせていた。しかし、休み時間に旧校舎のトイレの前を通りかかった時、彼は見てしまった。用務員のおじさんが、三番目の個室の前で首を傾げながら、床の染みをデッキブラシで必死に擦っているのを。その染みは、半分がドス黒い赤色で、もう半分が不気味な青色に染まっていた。もしあの一瞬、答えに迷っていたら、自分は今頃どうなっていたのだろうか。健太は背筋に冷たいものを感じながら、二度とあのトイレには近づかないと心に誓った。